今日は珍しく・・・

心のことについて書いてみようと思う。
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忙しい(*´ο`*)=3 時に「忙しい!」と言うのは当たり前過ぎることだが、締切が迫っている状況でさえなければ、そこまでプライオリティを考えて対処する事もないだろう、とはあくまでも個人的な意見だ。
しかし、生きていれば複数の仕事を同時にこなさなければならないシーンは珍しいことではない。それを「やる」のか「やらない」のかを決めるのは「能力」というよりは「意志」や「感情」だと思う。
そこで自ら「意志」や「感情」をコントロールできる人は「強い」とか「できる」という評価を与えられるし、他者のそれらをコントロール(と書くと表現が強過ぎるきらいはあるが)できる人は相応の立場で職業的な呼称を受けることになる。
が、実際にはそのレベルは低い人が少なくない。よくもまあそのレベルで「先生」などと呼ばれているものだと自分なら恥ずかしくてしょうがないが、世の中不思議なもので、(本人さえ)真剣に取り組んでいて「感じ」さえ良ければ、そこそこ専門家として仕事になるものである。そして、そういう曖昧な職業の多くは国家資格ではない。
それだけに「業界」の地位を向上させるためには「先生方」自らが、善意の下に勉強を惜しまず、しかも専門的なフィールド以外における「社会性」まで踏まえて努力しなければならない。
自分の知っていることは「氷山の一角に過ぎない」のである。これが概ね「専門性」である。この領域を超える「大部分(ほとんど)」の中に「社会性」はある。
この「社会性」を逸脱して「業界」や「自分」の「常識」を押し通そうとすると、必ず対象者との間に感情的な軋轢を生じる。この場合、「業界」や「自分」の「常識」は「非常識」になっていて、社会的な性質のものではなくなっていることに気付かなければならないのだ。
コミュニケーション能力に長けている者は、自他の感情コントロール能力にも長けているので絶対に「感情」を負の方向へはコントロールしない。
しかし、中途半端にコミュニケーションを得意だと錯覚している者は、平気で「感情」を負の方向へ誘導するので厄介である。
皆さんの周りには「あんたが入ると話が余計ややこしくなるんだよ」と言われるような人はいないだろうか?会議を紛糾させたり、「閥」を作ったりする人の多くは「負のタイプ」である。用心されたい。
では私はというと・・・
「完全な臍曲がり」であった。「完全」である。「あまのじゃく」なんて可愛いらしものではない。かつて「ああ言えば上〇」とまで表現された男がいたが、彼は「負のタイプ」の代表で、私はそれよりもう少しタチが悪かったと言えば想像がつくだろうか。小学6年生~社会人1年生の頃のことだ。
それが今では立派な「先生」である(笑:自分で言うなって!)。だからもっと上手に使えば良いのになあ。「士は己を知る者のために死す」や「刎頚の交わり」という言葉があるが、私は士ではないし、死ぬなんて馬鹿馬鹿しいと思っているものの、そういう想いは理解できる。これは人間が「感情の動物」だから有り得ることなのだ。
だからこそ人は、小説を読み、映画を観て、心を揺さぶられ、涙を流し、力を漲らせ、何度でも立ち上がれるのだと思う。これだけのパワーを持った「感情」である。負に向けて良いことが起きるはずもあるまい。
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